indenkun2の日記

日々のとりとめのない雑感を言語化

引用スタイル分からん

文献管理ソフトのMendeleyの説明に

Mendeleyは、7,000以上の引用スタイルに対応しています。

Mendeley_citation_style

と書いてある。

めちゃくちゃある。

しかしこれだけ膨大な引用スタイルに対応しているMendeleyでもカバーしていない引用スタイルもあるので、世の中にはまさに数え切れないだけの引用スタイルが存在するはず。

 

しかし、違う引用スタイでも似たようなスタイルがある。

例えばほぼAPAスタイルやろー、と思って準備すると微妙にちがってスタイル調整しなければならないのは、すごく面倒くさい。

(もちろんMendeleyなどの文献管理ソフトでカバーしているメジャーなジャーナルに投稿しろというのは分かる。)

 

特定のジャーナルにあるバリエーション
これほど数多くの参照スタイルがあるにもかかわらず、一部のジャーナルでは、独自の参照スタイルを好んで使用します。こういった方式のほとんどは100%独自のものではありません。ほとんどは人気のスタイルに、いくつかの変更を加えたものです。

https://www.aje.com/jp/arc/how-to-use-et-al-in-academic-papers/

 

メジャーなジャーナルのスタイルのままじゃだめなの?

 

ジャーナルオレオレスタイルにするの面倒くさいんだけど。

 

編集側も新しいメディアが出たときに引用スタイル策定するのめんどくさくないの?ほぼメジャーなスタイルのコピペだろうけど。

コピペだったらそもそも基のメジャーなジャーナルのスタイルのままでいいじゃん。

 

引用スタイルは文献の筆者名や年数などなにを大事だと思っているかによってスタイルの方針が違うようなので、独自スタイルにもそれなりに意図があってのものかも知れないが、概ね既存のメジャーなスタイルでカバーできるんじゃないだろうか。

もしかしたら昔は、独自の引用スタイルはメジャーなジャーナルの引用スタイルを含めた投稿規定等に対応するコストを下げるという投稿者(筆者)に優しいスタイルだったのかもしれないが、今となっては文献管理ソフトで設定するのが面倒なスタイルは投稿者(筆者)のコストを大きく上げることになっていると思う。

編集側においても、新しいメディア(ウェブなど)が出てきたときに引用スタイルを策定する必要があるというコストがあるので、美味しいところはなさそうだと思うが……。

 

ひねくれた見方をすると、編集がいらない独自性を出そうとした結果、独自の引用スタイルや投稿規定を設けているんじゃないかと思えてくる。

もう少し編集におもねった見方ならば、独自スタイルにすることで別のジャーナルでリジェクトされたものをそのまま投稿するという行為を避けることを狙っている可能性もあるのでは、と思う。

後者は結構いい線行っているかもしれないが、

 もう一つの例として、 Transactions of the ASABE などのジャーナルを制作しているAmerican Society of Agricultural and Biological Engineers (ASABE)では、APA Style 6th Editionのバリエーションを使用しています。なぜでしょう?私にはいっこうに分かりません。しかし、もしあなたがこのジャーナルに投稿するのであれば、彼らのガイドラインに従わなければなりません。 こういったややこしいガイドラインを満足させる論文にするためには、幾度となくこの作業をしてきたプロの科学編集者に依頼するのもひとつの方法です。私たちは、これらのスタイルのほんの小さな違いを見抜くことに長けています。なぜなら、それが私たちプロの仕事のうちだからです。

https://www.aje.com/jp/arc/how-to-use-et-al-in-academic-papers/

と資金があれば外注できるので、富めるものはますます富み、貧しきものは持っているものまで取り去られる構図になっていると思う。

 

すでに今ある独自スタイルからメジャーなスタイルに変更することは編集側には作業や意思統一などの手間が増えインセンティブは乏しいかもしれないが、メジャーなスタイルに統合して欲しいと個人的には思う。

 

編集側にとっても一度、これからはメジャーなスタイルでいきます、といえば、今後新たな引用に足るメディアが出現したときにスタイルどうするか策定せずとも、メジャーなスタイルを策定している編集が頑張って考えてくれればばそれに乗っかることもできてお得かもしれない。

これに関しては、メジャーなスタイルを策定しているところにフリーライドするな的な話もあるかもしれないが、上記にあるように結局メジャーなスタイルの翻案になるなら大差ないのではないかと思う。