研究がやめられない!
注意:これはたちの悪いパロディで全部または一部は虚構です。謹んでお詫び申し上げます。
5300編。
これは私がこの1年間に読んだ文献の数です。
調べてみると平均6ページとしたとき、すべてを普通紙(普通紙の厚みを0.09mmとしたとき)に片面印刷するとSHIBUYA109の看板の「1」の長さ(約3.1m)に匹敵しました(2862mm)。
もちろん研究は人の書いた論文を読むだけではなく自分自身の研究をし論文にまとめる作業があります。
およそ十数年にわたって続けている研究。
年々、作業が増え、毎日進捗がないと気がすまないようになっていました。
「これはちょっと異常なのではないか?」
そう思って調べてみたところ、あることばに行き着きました。
「研究依存症」。
研究することを愛してやまない研究者のみなさん、心当たりはありませんか?
ルーティーン
午前4時40分。
私は毎朝この時間に目を覚ます。
朝起きてまず水をのみ、PCが立ち上がるのを待っている間に血糖値を上げるためにチョコレートを2粒食べる。
そして、眠い目をこすりながらメールチェックをし返信をし、すぐに返信できないメールはフラグとリマインドを立ててる。
そのあとにメジャージャーナルのウェブサイトを巡回し、新着を確認する。これはと思うものはMendeleyにインポートしてあとで精読することにする。
時間があれば、Mendeleyにインポートした文献を読みメモを書いておく。
読んだ文献で気になったキーワードをPubMedやSCOPUS等に入力してみる。
そしてできれば自分の研究に手を付ける。
これが私のモーニングルーティンです。
この習慣は、盆暮れ正月、前日の遅くまで研究していても、眠り足りなくてもどんなに疲れていても、欠かすことができません。
文献読みたくないな、という日も正直あります。
それでもなぜ続けているかというと、文献を読むことができない日は「1日文献を読まないだけで置いていかれるかもしれない」「今取り組んでいる内容がすでにどこかで発表されてしまっているのではないか」という違和感、そして自分を甘やかしてしまったという劣等感を抱えて1日を過ごすことになるからです。
「こんな生活を続けていて大丈夫なのか?ちょっと異常なんじゃないか?」
そう思うきっかけになったのは、最近感じるようになった違和感からです。
これまで毎日研究していても平気だったのに、数ヶ月前から頭の疲れが抜けにくくなり、インプットの量とアウトプットの質が落ち込み、なにより研究していても以前と同じ「楽しい」と感じることが少なくなってしまったのです。
そして何より深刻だと感じてたのは、休息が必要だと頭では理解しているのに、インプットとアウトプットの量を減らしたりする決断が自分ではどうしてもできなかったことです。
研究し始めたきっかけは学部卒論
そもそも私が研究するようになったのは学部3年のときです。
当時の私は自他ともに認める劣等生で、劣等をからかう同級生を見返してやろうと一念発起し、研究室配属とともに研究を始めたのです。
研究を始めた当初、研究室では論文抄読会での読み込みや進捗の報告、学会発表の予定など同じ研究室に配属された同級生のうちでも最も劣っていました。
それでも諦めずに3ヶ月ほど人一倍朝早く研究室にきて、文献を読み、研究手法を学び、自分の研究に取り組むことで、誰も知らないことを知る喜びを知り、半年経過する頃には研究室内でも学部生の中でも存在感のある一人となることができました。
そうして私は、研究することの楽しさに目覚めたのです。
大学院に入ると、さらに自分を追い込もうと、学外の若手研究会にも所属し、研究会内での勉強会を含めて活動的に取り組みました。
学位を取る頃には自分なりには一定の業績を挙げられているのではないかと思っていました。
もちろん、インパクトや本数ではないまだ誰もしらないことを知る喜びは続いていました。
ポスドクになってからは、院生時代になかった雑務もあり、インプット、アウトプットの量は院生時代と比べると少し落ちましたが、それでも同じレベルを維持するように努めていました。
しかし、数年前、久しぶりに院生時代の仲間に連絡を取ったらポスドクをやめて、民間企業勤めになっていたと聞きました。また、その人づてに聞くと良くしていた仲間のうちテニュアトラックを得ていたのはわずか一人だと言うことを知ったのです。
それ以降、たとえ食事や睡眠の時間を削っても研究をする、文献を読む生活が続いているのです。
ひょっとして、「研究依存」?
その結果、冒頭で述べたような不安を感じるようになってしまった私は、良い解決策はないかと調べ始めました。
調べてすぐに目にしたのが「研究依存」ということばです。
果たして自分が該当するのかどうかを確認しようと、研究者のメンタルヘルスサポートに携わっている千葉電波大大学のケン・ナイン医師のもとを訪れました。
(筆者)
「研究依存とはどういう状態にとことを指すのでしょうか」
(ケン・ナイン医師)
「過度な研究によって日常生活に影響を及ぼしているかどうかが重要な基準になります。ただし人によって研究量が違うので、明確な診断基準はないんです」
- 研究の依存度を図るチェックシート
- 研究は私の人生で最も大切なものである
- 私の運動量について家族やパートナーの間で対立が生じたことがある
- 私は気分転換のために研究をしている
- 時間の経過とともに1日に行う研究量を増やしている
- 研究を休むと気分が悪くなったりイライラしたりする
- 研究量を減らしても、また始めるといつも以前と同じように研究してしまう
そこで手渡されたのは、依存の度合いを測るチェックシートです。
6つの質問に対し、「とてもそう思わない」の1点から「とてもそう思う」の5点まで、5段階の評価で回答し、その点数をポイント化して、依存の度合いを数値化します。
「依存症の傾向が見られる」基準となるラインは30点中24点。
回答の結果、私は28点。依存症の傾向が強く見られるという結果でした。
依存症とは、日々の生活や健康、大切な人間関係や仕事などに影響をきたしているにも関わらず、特定の物質や行動をやめたくてもやめられない状態を指します。
お酒や薬物、ギャンブルなど依存の対象はさまざまですが、研究は、続けることが悪いことではなく、むしろ「良いこと」「偉いこと」として捉えられ、依存症の対象とくくってしまうことに違和感を覚える人もいるかもしれません。
そこで、ほかの研究者たちの声を聞いてみることにしました。
深夜2時に煌々と明かりの灯る研究室にお邪魔し、院生に話を聞くことができました。
(博士前記課程2年 研究太郎さん)
「自分にとっては歯磨きのような感覚で、『文献を読まない日を2日続けない』という自分のルールがあります。その分、体調が悪かったり寝不足なときでも無理して文献を読んでしまうことがありますね。
ただ逆に体調不良で起きられなくてもごろ寝PCで文献を読む方法を編み出したので特に問題はありませんでした。」
(博士後期課程3年 リサ・チー)
「どうしてもアウトプットの量を求めてしまっています。私用があるのに少し時間があるとおもって研究に取り組んで、予定ギリギリになったりとか、研究しすぎて帰るのを忘れてアパートのポストがいっぱいになって溢れていたこともありました。
公共料金の払込書がその中に紛れていたので、払込を忘れてしまい電気が止まったことがあるのですが、そもそもアパートに居ることがないので全く困りませんでした。」
研究することに熱中するあまり、日常生活や健康に影響が出てしまったという失敗談を明かしてくれた二人。周りにも同様の経験をしたことがあるという研究者はたくさんいると教えてくれました。
私だけでなく他の研究者も、研究しすぎによる不安や悩みを抱えているようです。
私は、研究依存について、本格的に取材を進めることにしましtあ。
そもそも「研究依存」って?
「研究依存」を詳しく知るために話を聞いたのが、研究心理学が専門で、脳科学のアプローチから研究を進めている、千葉電波大大学のリー・サーチ教授です。
リー教授によると、「研究依存」と呼ばれる症状には、決まった定義はないとのことですが、海外の論文では「規則正しい不規則な研究生活における心理学的・心理学的本質を持つアディクション(嗜癖・依存)で、研究をしない場合には24時間から36時間後に離脱症状(不安感、罪悪感、イライラ感など)が生じることから特徴づけられる」と説明されています。
ギャンブルや買い物など、特定の行動に依存する症例は他にもありますが、研究を含む文化的依存に特有の特徴があるとリー教授は指摘します。
(リー教授)
「お酒や薬物などと違うのは、『やりたい』というよりも『やらなければ』という強迫的な側面です。そして研究が過剰に行われることによって、人間関係や仕事に支障をきたすほどのネガティブな結果を生み出し、さらに健康管理を度外視して行うことがあるため、精神の不安定や体調不良に繋がってしまう恐れもあります」
「研究依存」にあたる人がどれくらい存在するかについて正確なデータはありませんが、「研究依存」に該当する人は「日常的に研究を行っている人のうちおよそ90%」とする研究報告が、複数あるといいます。
80万人あまりとされている日本の現在の研究者人口で考えると、推計で72万人が「研究依存」に該当する可能性があると考えられるのです。
そして、研究依存を引き起こす背景には2つの要因が考えられるといいます。
1つは研究活動(投稿論文のアクセプトなど)によって、多幸感が生み出されるカテコールアミン(ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンと言った神経伝達物質の総称)が脳内に分泌されるため、依存へとつながっていくこと。
もう一つは、研究ができないとネガティブな気持ちになって離脱症状が起きてしまうため、その気持を抑えるために研究をやめることができなくなるということです。
研究をやめると24時間~36時間後に離脱症状と言われる不安感、イライラ感、気が休まらないことなどが生ずることもあると言います。
日常的に研究をしている人が突然研究をやめるとどうなるのかを調べるため、今回、深夜まで研究に取り組んでいる大学院生にに協力してもらい、脳波を使った実験を行いました。
最初に脳波を測定したあと、3日間研究を中止し、『研究を毎日続けている状態の脳波』と『研究を3日間やめたあとの状態の脳波』を比較したのです。
すると、不安に思っていたり、イライラしたりする時に現れるという「エラー関連陰性電位」といわれる波形が運動をやめたあとに大きくなっていました。
ただし、実験2日目の実験後に指導教員からのメールを受信した大学院生は血相を変えて研究室に帰ってしまい3日目の実験には来てくれませんでした。
(リー教授)
「強度の高い研究習慣がある人は、研究を停止することで一過性にネガティブな感情や心理的な反応があることが見て取れます」(実験に協力してくれた大学院生)
「1日目から研究の進捗がないことに焦りを感じていました。2日目には指導教員からの『進捗どう?』のメールで焦りがピークになり、研究を再開してしまいました。やっぱり研究がある上で自分ができているんだなと改めて思いました。」
リー教授は、特に強迫傾向が強く、完璧主義の強い性格の持ち主は研究を止めることができない状態に陥りやすいと考えられているといいます。
ただ、研究依存のメカニズムが、強迫傾向などの性格によるものか、ドーパミンといった神経伝達物質の作用によるものか、それとも両者の相互作用に基づくものなのか、はっきりとは解明されていません。
この症状に関する研究は世界的にまだ調査や研究が十分に進んでいないのです。
(リー教授)
「研究依存は分かっていないことがまだまだたくさんあり、明確な診断基準もありません。研究依存の研究をするために他人の研究を中断させる倫理的な問題もあり、研究をやめられない症状の人を集めて実験や研究を行うのがとても難しく、データが集まりにくいんです。明確な治療法があるわけではありませんが、予防法としては、実行可能な範囲での研究計画を立てて、その計画を超えてしまっていないかをモニタリングし、計画を無理なく実行していくことが重要だと思います。」
解決の糸口を求めて
症状を改善させるためには、何をすればいいのか…。
私の研究依存度を確認してくれたケン医師に助言を得ることにしました。
そこでまず求められたのは、1週間分のタイムスケジュールを記入することです。
記入しながら、「そういえば、同じ24時間を生きているはずなのに、あの人は信じられないスピードでインプットとアウトプットをしているな……。こんなに朝早くほぼ毎日文献を漁っているのに恥ずかしいな……。」と思わずにはいられませんでした。
記入し終えたシートを受け取ったケン医師は、驚いた様子もなく、穏やかな表情で「早朝に研究活動を始めることが習慣化しているんですね」といった上で、
- 1日の研究量を少なくする日を作り、全体的な量を減らすこと、
- ほとんど毎日続けていた、研究以外の研究室業務の時間を削ること
以上の2つの改善案を提示してくれました。
「研究する日を削れ!」と言われることを覚悟していた私は思わず聞き返してしました。
(筆者)
「それだけでいいんですか?」(ケン医師)
「そんなに多い研究量ではないと感じました。」
「これくらいならできる、助かった!」
このときの私はそう軽く考えていました。
なかなか計画通りには…
ケン医師の助言に従い、自分の研究スケジュールを見直しました。
これまでは1日およそ20時間を研究に割くという計画だったのを、1日は18時間程度に抑えるという計画を立てました。
結論から言うと、この計画は失敗に終わりました。
まず研究量を抑える日を決めるにあたり、「調子が良くない日に研究量を減らせばいいかな」と軽く考えていました。
ある日、研究に取り組み始めてから調子が上がらないことを自覚した私は「よし、きょうは研究時間を短くしよう!」と心に決めます。
が、そのあとすぐに「もう研究し始めているのだから、きりの良いところまでやってからにするか?」という考えがよぎり、結局その思いを払拭できず、いつも通りの研究量をやってしまったのです。
この反省から、翌日はあらかじめいつもより少ない研究量とすることとしましたが、その分、研究におけるクリティカルだったりシビアな箇所に取り組んでしまい、いつもとさほど変わらない疲労感をため込んでしまいました。
また研究のスパンについても、休養を5時間以上決めていたにもかかわらず、「もう少しできりの良いところまで進みそうだからこのままやろうか」とか「もう少しで論文投稿できそうだから休養は先延ばししても大丈夫だろう」など理由づけをして、結局いつも通り研究してしまったのです。
0から1を生み出すのが難しいのと同じように、10から9に減らすのも簡単ではないと痛感しました。
失敗の中で得た学び
2週間後、再びケン先生のもとを訪れました。
(筆者)
「努力をしたんですが、なかなか研究量を減らせなくて、すいません…」(ケン医師)
「いえいえ。できなかったらできなかったで全然OKで、できなかった時にどういう風に改善できるかとか、できなかったことの原因を一緒に考えるっていうことを繰り返していくことが大切なんですよ」
優しいことばに励まされ、この2週間にできたこと、できなかったことを正直に報告しました。
その中で、改善策の②として提案された「研究以外の研究室業務を減らすこと」については、研究室業務をやらない日を作ることができていることに、ケン医師は着目し、私に優しく語りかけました。
(ケン医師)
「できたこともこの2週間であったと思うんです。上手に調整できているんだってことに自信を持って下さい」(筆者)
「研究室業務については後輩との業務割合を見直しました。一部学部生に流してみました。」(ケン医師)
「減らす経験をしたという自信を、いざ研究の調整の時にも生かすことができるようになればいい。できることをクリアしながら、時間をかけて行動変容につなげることが大切です」
必ずしも計画通りにいかなかったこの2週間。
しかし、自覚していなかった意識や行動の変化をケン医師は気付かせてくれました。
研究をこれからも楽しむためには
1度習慣化してしまうと簡単には変えられないことを身を持って学んだ私は、反省の意味も込めて、「研究依存」に陥らないために必要なことを最後に聞いてみました。
(ケン医師)
「自分のライフスタイルを定期的に見つめ直すことが大事です。自分の研究習慣について第三者にアドバイスをもらったり、どんなコメントをされるか想像したりするだけでもいい。研究することは楽しいことだということを忘れずに、適度にバランスをとって研究し続けてもらえればと思います」
取材を続けて1か月。
自分が「研究依存」であることを自覚し、「完治」を目指しましたが、やはり一朝一夕では難しく、今もこの「症状」と向き合っています。
しかし、研究し続けることで抱えていた漠然とした不安は消え、自分にあった研究スタイルをいつか実現させるという決意に変わりました。
私の願いはただ1つ。
「テニュアポストがほしい!」
参考文献(というかパロディもと)